「おしゃべり一考」

はじめまして。水曜日を担当している宮田です。そういえば、いきなり余談ですが、『水曜日が消えた』という映画がありましたね(私的には消えてもらっては困るのですが、映画としてはおすすめです)。ブログを書くのは今回が初めてなのですが、カウンセラーとして日々考えたり、感じていることを徒然なるままに、時々載せていきたいと思っています。

というわけで初回の今日は、「おしゃべり」について取り上げたいと思います。さて、未知のウイルスが猛威を振るい、それに晒される生活を余儀なくされて以来、私たちはお互いのためにいろいろなことを我慢しているわけですが、「おしゃべり」もその一つですよね。ほんとこの一年間家の外で普通におしゃべりする機会が減りました。マスクをしていても会話は最小限に控え、マスクを外す食事中は黙読ならぬ“黙食”に徹し。なにせ無駄にしゃべらないことが推奨される世の中ですから…。何かしゃべりたいと思っても、いちいち不要不急かどうかを考えなくてはいけません。これは結構つらい。そもそも「おしゃべり」と呼ばれるものは大概不要不急ですからねえ。不要不急でないおしゃべりは、それはもうおしゃべりではなく、連絡とか報告と呼ばれるものでしょう。だから、不要不急かどうかだけで判断されると、おしゃべりの市民権はすぐさま窮地に追い込まれます。とくに、おしゃべりが自然に発生しやすいランチタイムや酒の席は言うに及ばず、会社のロッカールームや化粧室に至るまで、クラスターという脅威にさらされており、本当に外での何気ない「おしゃべり」は居場所を失いました。しかしこう長期戦になってくると運動機能の低下と同じく、これは結構深刻な問題だと感じています。もちろん何事も命あってのことであり、互いの命を守ることが一番大切だということに誰も異論はありません。でも、不要不急だけど、バランスを保って生きていくために実は必要不可欠というものがありますよね、人には…。

カウンセリングというものも、ある意味そのような存在かなと思っています。この一年、生業としているカウンセリングが不要不急かどうかに悩む局面が幾度もありました。しかし、そのたびに、安全なカウンセリングの場とは何かについて試行錯誤しつつ、やはり対面で直に会って話す場を消滅させてはならじと祈るような気持ちでやってきました。そしてそれはカウンセラーだけでなし得るものではなく、来談される方の、「話す」ことが「生きる」ことにいかに影響を及ぼすかという実感と、こんなときだからこそ話す、という覚悟にも支えられていました。

今後もまだしばらくは続くであろうおしゃべり受難の時代、オンラインという新たなツールとも共生しつつ、あらためてその意味合いに思いを馳せ、ささやかな日常生活の回復に向けての今日をともに健康に生き抜くために、やはり「話すこと」を、そして「聴くこと」をいっそう大切にしていきたいと思う今日この頃です…。

映画『水曜日が消えた』

監督 吉野耕平

主演 中村倫也

配給 日活 2020年