「凡人はバランスの良い天才」
こんにちは、バロックです。
みなさんは「自分にも才能があったらなぁ」と考えたことがありますか?
私はあります。
才能がある人は、充実した楽しい人生を送っていて羨ましいなどと思っていました。
もし、神様が一人、一人に100の値しか能力を与えられなかったとしたら、
神様は、生きていけるように生活能力に10の値ずつ10項目の分野の能力を与えられた人間が凡人だとは思いませんか?
ほとんどの人が、特に秀でた能力を活かして生きているというよりは、与えられた仕事に自分を合わせて生きています。
そつなく社会で生きている凡人こそ、とてもバランスの良い天才と呼べるのではないでしょうか?
それならば、万能の天才と呼ばれたレオナルド・ダヴィンチはどうなるのだと思う方もいるかもしれません。
ですが、彼にも苦手なことはありました。
なんと暗算と外国語(語学)がとても苦手でした。
そして、納得するまで作品を仕上げなかったので仕事を断ることもあり、やりかけの作品がとても多かった人なのです。
レオナルド・ダヴィンチは多方面で功績が残っていますが、完成して後世に残っている作品は、15作品程度と言われています。
ダヴィンチが万能の天才になったのは時代背景もあると私は思っております。
彼が一番始めに入った工房は何でも屋でもあり、皿を作ったり、家具を修理したりといろんな仕事を受けつつ絵画の勉強をしていました。
この背景があるとすると美術以外の様々な研究や発明は、興味関心があったとはいえ、いろんなことを仕事にしなければいけない時代であった為ではないかと思うのです。
ダヴィンチは、絵を描く為に人間の構造にとても興味があり、医学スケッチをよくしていました。
美術のために医学を学ぶ観点から、とても美術の才能に極振りした人物のようにも伺えます。
才能を活かして功績が残る人生羨ましいかもしれません。
しかし、天才はとても生きづらいとも言われています。
ギフテッドと呼ばれる人は、子供の頃。
勉強が出来すぎて先生に怒られるなど理不尽を経験しています。
IQが高いが故に学校に行けなくなるなど困りごとを経て、海外での教育を選ぶ方もおります。
また、最近流行りのR指定という有名ラッパーは、ラップの才能に極振りするあまり、服を着るリズム、家を出る時の鍵をかけるリズムが狂うと何度もやり直してしまうという特性があります。
このように、それぞれの才能に秀でるが故に困ることもあるのです。
なぜ、神様は皆、同じバランスで才能を与えないのか?
同じことを考えて生きては、何も発展しないし、ものごとは衰退していきます。
そして、違いがないことこそ、つまらないと感じているのではないかと思うのです。
人が得意、不得意があるように生まれてくることで、他の人の苦手を自分が補い、助け合うように出来ていると思いませんか?
バランスの良さを持つ人間、凸凹のある人間両方いることで人間は生き残っています。
凡人と思っているあなたは人から羨ましいと思われるほど社会で生きる才能に長けているかもしれません。
そして才能のバランスは様々です。
何も出来ないと思っているあなたにも得意なことはあります。
あなたはまだ自分の才能に気づいていないのです。