新年の目標

こんにちは。水曜日担当の宮田です。年が明けました。そして、年末のブログに、にらめっこ中と書いたオミクロン株が大手を振って大流行となってしまいました。今回はどうもおおむね軽症のようですが、なにせ感染力が半端じゃない。新型コロナウイルスも生き残りをかけて、どんどん変異し、勢力を拡大しています。

まあでも人間の方も、以前に比べればだいぶん冷静に対応していこうとはしていますよね。騒ぎ立てても仕方がないし(医療現場や保健所にかえって混乱を招くような、政府の対応にはいろいろと思うところはありますが...)。

“with コロナ”のようなキャッチフレーズは、個人的には好みではありませんが、同じ地球に存在している限りは、戦いながらもある程度共存していくほかありません。

共生社会の実現が謳われて久しいですが、人間が共生を考えるべきものは、同じ人間同士のことから、動植物、自然、はては目に見えぬ存在にまで及ぶとは、なんともたいへんです。まあしかし、それが自然の摂理なのでしょう。ともすれば、人間一人で立派にやっているように勝手に思いがちですが、そもそもいろいろな支え(共にある人、もの、何やかや...)があって、やっとの一日一日なのです。実のところは。

コロナ禍は終わらないまま、日々いろいろな事件、事故が起き、また、50年、100年、はては1000年に一度級の自然変動が起きるなど、私たちの生活は自分一人では思うように制御できないことばかりです。だから面白いとも言えますが、非常にたいへんです。だからやっぱり人間一人で生きていくのは無理だと思います。

先日TVのニュース番組で、中国のゼロ・コロナ政策のあり様を目の当たりにしました。感染者がいると分かるやいなや突然ショッピングモールを閉鎖して、PCR検査の結果が出るまで人々を何時間も強制的に閉じ込めるのです。親と子でさえ容赦なく引き離すそのやり方に驚愕しました。コロナは人を分断する、まさにリアルな映像でした。もちろんウイルスは人命を脅かす危険があるものです。しかし分断もまた人を脅かすものに違いないことを、私たちはこの2年間で思い知っています。難しい問題です...。

そんなコロナ禍での共生社会で生きる私たちが、探っていくべき共生のあり方とは...。一応新年なので、今年は(も)このテーマを考えることを目標にしようと思います。

それでは皆様くれぐれもご自愛ください。本年もどうぞよろしくお願いいたします。